2007年09月30日

5日間でドイツ一周(駆け足過ぎ!?) #3

≪Die Romantische Strasse≫
2日目は「ロマンチック街道」を走るバスで、Fussenを目指した。
この有名な街道は、ドイツのヴュルツブルクからフュッセンまでの366kmの街道ルート。
アウグスブルクの市長であったヴェーゲの提案で1950年に命名された。
昔は実際に一本の旧街道があったらしいが、現在は高速道路が整備されたこともあり、街道としては分断されてしまっている。

鉄道でのアクセスは悪いので、バスの利用が便利。とても日本人に人気があるので、JALのバスとか日本語で案内してくれるバスも毎日走っているらしい。
今回お世話になったのは、ドイツツーリングのロマンチック街道ルート。オンラインで予約しておける。
このバス、間違いなく便利なのだが、運転手が相当いい加減で、途中停まるべき観光地をスキップしたり、下道で走るべきところ幹線でバイパスしたりしていたらしく、同乗した韓国人のお客さんがキレていた。完全禁煙のバスなのに運転手だけ吸いながら運転するし、確かに感じがとても悪いおっさんだった。

バスは、フランクフルトの駅を朝8時に出発する。
寝坊しないように携帯のアラームをかけ、朝食も取らずにユースホステルを一人出て駅に向かった。
バスに乗ると安心してウトウト。バスはアウトバーンを走っていたが、速度が遅いのでBMWやワーゲンに抜かれまくっていた。確かに3車線目を走る車は速い。200キロは軽く超えているように見えた。
バスはロマンチック街道に入ると、見どころの1都市ずつ寄り、30分から45分程度の停車時間ですぐに出発する。途中下車も出来るので、たいていの旅行者は寄りたい街で途中下車して一泊し、翌日のバスを待つみたい。やはり無謀だったか、5日でドイツ一周…。
でも、寄った各都市でワインを飲んだり写真を撮ったり、街の空気はちょっとだけ吸えた。
それもまた幸せ。
バロック庭園が見事なヴァイカースハイム、三十年戦争で破壊を免れた中世都市ローテンブルク、街を一周する城壁が完全な形で残っているネルトリンゲンなど、それぞれ1日ずつかけて回りたい街がたくさんあった。

中世の自由都市は、城壁で囲まれている。
これまで写真で見ても、壁にはさしたる貫禄を感じなかったが、実際に行ってみると思いのほか高くて立派。確かにこれを超えるのは簡単ではない。

夕方、ロマンチック街道を走り、スイス国境近くの街Fussenに着いた。
スイスが近づくにつれ、緑色の牧草が周囲を囲み、牛が放牧されていて雰囲気がガラリと変わり、何となく「スイス」という感じがした。車窓から見えるアルプスがどんどん大きくなってくる。
駆け足でも、それなりに魅力は満喫したロマンチック街道のバスツアーだった。

2007年09月20日

5日間でドイツ一周(駆け足過ぎ!?) #2

そういえば、写真はこちらで公開中でした。

超駆け足ドイツ一周旅
しばらく使ってないうちに、Picasaがまた進歩してた…。

≪Koln & Frankfurt≫
ケルンといえば大聖堂。1880年に完成した、ゴシック建築のカトリック教会で、144mの高さは街のどこからでも見える。
1日目はフランクフルト観光の予定だったが、どうしてもケルン大聖堂は見て帰られねばと思い、ドイツに着いたその足でケルンを目指した。(飛行機の中で予定変更した)
マイン空港から、ドイツの誇る超特急ICEで50分。日曜朝10時前のケルンは、眠った町のように静かだったが、大聖堂ではミサをやっていた。
ちょっと肌寒い。午前数時間だけケルンで過ごし、すぐにICEに乗ってフランクフルトに戻った。

午後はフランクフルト。
中央駅から、市中心部に延びる大きな道をブラブラ歩いて行くと、大きな€のマークが見えて来る。欧州中央銀行。報道番組の背景の定番。
その近くにあるはずの、フランクフルトのシンボル:ゲーテ像が、地図に書いてあった場所から移転してしまっていて、しかも移った先は現時点では決して景観が美しくない場所だった(今後、その周辺の開発が進むらしい)。
例えゲーテであっても、都市開発に合わせて移動する。
それがドイツなのかもしれない。

フランクフルトの散策は、日曜で店が殆ど閉まっていることもあり、思ったより趣がなかった。
面白かったのは、ゲーテの生家を2次大戦後に復元した「ゲーテ・ハウス」。本物は戦争で壊されてしまったが、調度品は疎開していて難を逃れたので、ゲーテが使っていた机が残っていた。
恋に破れたゲーテが、部屋に飾っていたという恋人のシルエットが再現されていて、気持ち悪かった。

マイン川の川辺が、綺麗に整備されていて、地元の人がたくさん自転車に乗って遊んでいて心地よかった。のんびりしたヨーロッパの日曜だった。

2007年09月18日

5日間でドイツ一周(駆け足過ぎ!?) #1

日本に帰ってきたら、新聞に「総裁選」という文字があり、一体何のこっちゃという感じだったのですが…その後時差ボケも治り、リハビリは順調です。

今年の夏休みはドイツ。
実質5日間で、広い国土を一周して来た。
鉄道の力って偉大。ヨーロッパの鉄道網の力を思い知らされた。

書きたいこともいっぱいあるので、今週のんびりこの日記も書き綴ってみようかと。

≪Haneda-Kasnsai-Singapore-Frankfurt≫
今回のヨーロッパ行きは南回り。
お昼過ぎの飛行機で羽田から関空へ、そこからシンガポール航空(SQ)のB777-200でシンガポールへ飛んだ。
ちなみに、航空券は羽田-シンガポール-欧州の3レグの往復で10万円ちょこっと。成田発の直行便より安い。
ただし、飛行距離が長いので、原油高の影響を受けて設定される燃油サーチャージはどんどん膨らむ。
時勢柄、省エネに越したことはない。

乗換えで寄ったシンガポールの空港では、電光掲示板から自分が乗るはずの「FRANKFURT」行きの便を探すも見つからず、焦ってカウンターを探し走り回った。乗り遅れた…!?
簡単なカラクリで、自分が乗る飛行機はシンガポール発フランクフルト経由ニューヨーク行きだった。だから、掲示板も"DESTINATION:NEW YORK"の便を探さなくてはいけなかったのだ。それにしても、シンガポールからドイツ経由で飛ぶニューヨーク、遠いだろうな。
ちなみに、Airbus340-600の就航により、Singapore-New Yorkは無着陸でも飛べるようになった。
シンガポールからさらに飛ぶこと12時間、まだ夜が明けぬフランクフルト・マイン国際空港に到着した。よく眠れた。

2007年09月15日

帰国っ!

ハンブルクを出発して30時間。 最後のフライトで羽田に戻ります。 堺終わったから、もう関空来ないな。

2007年09月07日

除隊の報告

入社して一番最初に関わった、大阪堺のプロジェクトを、先週「除隊」となった。
リリース日当日に夜間勤務をして、土曜朝の飛行機で東京に戻って来た。
もう堺なんて行かないかな。

大きなメーカーがクライアントで、購買から生産計画、販売目標設定から受注管理、輸出入・出荷までを管理する大規模な基幹系システム導入のプロジェクト。
最初に定義が始まったのはもう数年前のことだったらしい。
最後の導入まで見届け、自分が担当した部分は保守隊に引き継いで来たので、立派な「卒業」だった(と、自分では信じている)。

システムの保守は結構特殊でディープな世界らしく、砦を守る「保守隊」は、志願兵+徴兵された一部マネージャーで構成されていく。
システムが落ち着くにつれ名誉除隊になるのだろうが、ある意味では保守はエンドがない延々と続く仕事。
自分の同期も二人、堺にマンスリーを借りて保守隊に「入隊」した。
頑張れよー。

今年の8月は殆ど出続ける日々が続いたので、数えてみたら自宅では4泊しか寝ていないことが判明。嗚呼、家賃勿体ない。。。

入社して初めてアサインされたジョブは、その当時会社で一番火を噴いていたプロジェクトだった。
仕事を放り出して退職してしまう人が続出したり、本来のスケジュールを半年ずらすように再スケジュールしたり、自分自身も1週間で数時間しか寝れなかったりと、恐ろしい経験がいろいろ出来た。
同情もいっぱいされたけど、最初に一番しんどい経験が出来ることを、同期から羨ましがられたりもした。
が、どっちも、あまり心に響かなかった。
修羅場を経験しないと、修羅場を経験することが幸運とか不幸とかそういう単純な話じゃないことなんて、分からないと思う。恐らく想像されている以上に辛い時期もあったし、その分他の同期には絶対出来ない経験もいくつか出来た。
仕事で出会える幸運なんて、普通の言葉では他人には語りえないような、複雑なものなんだと思う。
よく、ベンチャーを起業して成功した人が、「私は運が良かっただけ」とか言っているが、自分が幸運だと気づけている時点で、すでに頭一つ抜け出ている。
これから、いつ出会えるか分からない幸運を幸運と気づけるように、感度を上げていかないと。

最後になると分かっていたので、暇を見つけて堺市観光とかもしてみた。
仁徳天皇陵 チン電
(左)日本最大規模の前方後円墳「仁徳天皇陵」
(右)市内を走る市電、通称「チン電」。略し方が大阪らしい。

今週は有楽町でジョブなしのプー、来週は夏休みをとってドイツに行ってきます。

2007年09月01日

さようなら堺

もう来ないかなぁ…。

朝一番帰り道。