2006年09月24日
さようなら、日本の翼YS-11
YS-11は、戦後日本が生んだ唯一のライン就航旅客機。
1962年に試験飛行に成功し、1972年までに182機が生産された。
終戦後、GHQによって航空機の開発・生産を禁じられていた日本がやっとの思いで開発した旅客機で、定評のあるロール・スロイスのダートエンジンと併せて、当時としては奇跡のような完成度を誇る。
特に、滑走路が1200メートルですむ離着陸性能は、国土が狭い日本においては、画期的だった。
以来41年間、日本でライン就航して来たが、来週土曜(9月末日)で旅客便からはリタイヤを迎える。
春先から、「引退前に乗りたいな」と思っていたが、九州まで出かけるとなるとなかなか腰が上がらず、半ば諦めていた。
ところが昨日、たまたまJALのページを見ていたら、どういう幸運か空席が一つ。
恐らく、誰かがキャンセルしたのだろう。
悩んだ時間およそ15秒、もう二度とないチャンスと思い、プラチナチケットを買ってしまった。
その12時間後、僕は羽田から福岡行きに乗って日帰り旅行に出かけた。
今まで経験したことがない、空港以外どこにも寄らない九州・四国旅行である。
ただ飛行機に乗るだけなので、羽田を出発してから羽田に戻って来るまで、わずか8時間強。
その間に、東京→福岡→徳島→東京を移動した。
64人乗りの飛行機には、YSに乗る目的で乗っていそうな人が8割。移動目的で乗っていた人は何人いたのだろう。お母さんもファンなのだろうか、小さな男の子が一人、お母さんと一緒に乗って熱心に写真を撮っていた。
誤解を恐れずに言えば、今日のYSにはどう見てもオタクにしか見えない、キモイ人もたくさん乗ってた。
だけれども、そういう特別な人だけでなく、多くの人に愛されて惜しまれているのがYSなのだ。
僕が幼稚園の時、祖父が「孫たちを一度、連絡船に乗せたい」と言い出し、廃止半年前の青函連絡船に乗るために函館まで旅行に連れ出してくれたのを、今でもうっすらと憶えている。
今日YS-11に乗った彼も、いつまでもYS-11を憶えていてくれるかな。
機内は予想していたよりはるかに清潔で、この飛行機が来週の日曜には飛んでいないなんて信じられなかった。30年超、よほど丁寧に整備され続けて来たのだろう。昭和30年代に製造された、レトロなメカは、驚くほど美しさを保っていた。
客が乗り終わると、飛行機は当たり前のようにエンジンスタート。ギュイィインというターボロップ機独特のサウンドが、機内に響いた。そして、狭い機内でも、飛行機の前の方と後ろの方では、音の聞こえ方が全く違う。それもまた、現代の飛行機にはないメカ臭さ。
飛行時間は1時間20分。晴天の瀬戸内海上空を飛び、徳島空港にドン!というショックとともにタッチダウンした。
僕も今日知ったのだが、初めてYS-11がライン就航を果たしたのは、羽田-徳島-高知線だったらしい。
以来、41年間、徳島からは常にYS-11が飛び続けた。徳島は、YS-11にとっても特別な場所なのだ。
到着した徳島空港で、超ベテランと思われる空港職員が、仕事中なのに自らもライカを首からさげ、「シャッター押しますよ」と客に自ら申し出ていたのが、徳島とYSとの長い付き合いを感じさせられた。
彼らも、YSが大好きなのだ。
日本のエアメンで、YS-11に畏怖を持たない人なんていないだろう。
だが、40年以上前に完成度の高い旅客機を開発した人へもさることながら、それを40年間大切に飛ばし続けた、日本のエアメンもまた、畏怖をもってたたえられるべきだと思う。
世界でも一つ旅客機がのここまで大事にされたことは、あまりない。
徳島空港の展望デッキから、もう二度と見ることはないYSを眺めて、東京へ戻った。
- by yuhei.k
- at 21:13

comments
今日,プロジェクトX「翼は蘇った~YS11開発物語」を借りてきました。本当に最後なんだと思うと悲しいですね…。あと1週間頑張って欲しいです。
ついこの間アメリカに行ったばかりなのに、また飛行機乗りに行ったんかいな!?いいっすねえ、社会人はお金があって。
>市場
時代の流れとはいえ、名機なだけに寂しいよね。
最後に乗れて本当に良かったよ。
>疾風
いいだろ◎
こういう時のために堺まで来て働いているのだ(そして来月は赤字生活だなw)
中村監督辞任したね、今度は誰が監督やるのかな。
I’d come to make a deal with you on this. Which is not something I usually do! I enjoy reading a post that will make people think. Also, thanks for allowing me to speak my mind!